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早朝、誰からともなく目が覚めて、部屋を後にする。ブリティッシュギャルたちが宿代を兄さんに渡そうとするが、兄さんは受け取らない。私もそうするが、やはり受け取ってくれない。バスに戻り、通路に御座を引いて寝ている人の隙間をぬって、後部座席へ戻る。 時間になり、ゲートが開き、バスは動き出す。ベトナムを出国する。毎度のごとく、出国カードを埋め、人の動きを見て順序を察知する。ベトナムに入った時ほどの適当さはないものの、ひとりつまずくわけには行かないので余談はできない。すると重大なことに気付いた。出国にお金が必要なのである。深夜の休憩所でマリーを買った時、持っていたすべてのドンを失ってしまった私は払えない。そんな焦っている私を見兼ねてか、兄さんがすかさず出してくれた!!他の外国人旅行者が手間取る中、兄さんは自分のパスポートと一緒に私のも出してくれたから手続きは順調に進んだ。今度はラオス入国。入国カードと共にパスポートはバスの乗客分まとめて預けられ、外でスタンプが押されて返ってくるのを待つ。一人の男が束になったパスポートを持って、一人一人名前を読み上げて返して行く。しかもその時キープで入国料を取られることを知る。又しても絶対絶命に近い私を兄さんは助けてくれた。外国人だから料金別なのに。見返りなんて何も求めない、全くおこがましくない。ただ親切心で哀れで無知な旅人にあんなにも気にかけてくれたあの兄さんに、頭があがらない。兄さん無くしてこの国境は越えられなかった、まさに救いの神である。また、国境で効く顔で良かったと父母に感謝した。 全員揃ってバスに乗り込むまで時間があり、皆検問所のそばの売店で何か食べ物を買ったり、一服したりしてバスを待っていた。深夜の惨劇、赤いジャージの女の子はバスでもどしたりしてたのだけど、復活したようで嘆を吐いていた。というかベトナム人かラオス人はよく嘆を吐くようだった。ブリティッシュギャルたちは、ビニール袋一杯にどこか道中で入手したらしいハムスターの餌のような食物を食べ、殻をその辺の自然に返していた。私もいくつか貰い、同じようにした。バスに乗り込み動き出した時、前の現地人乗客がゴミを窓から外に捨てた。それを見たカナダの子が、こんな美しい自然になんてことするのよー!と左隣でまるでミュージカルみたいな身振りで言った。実際ここは水が流れ出す深い山間部で、その子が言うのも同感なんだけど、ゴミ処理の流れが発達していないのかこの地までまでそのシステムが到達していないのか、割と売店の回りにはゴミが散乱していた。現地の人にとってはそうするしかない、それ以外にするすべがない況なのかなと思った。 私がビエンチャンで友達と待ち合わせをしていると言うと、兄さんは前に座っている小指の爪だけ極端に長いおじさんに、ビエンチャンに着いたらおじさんの携帯を貸してくれるように交渉してくれた。なんでここまで優しいんだろう。ラオスに入って最初に差し掛かった村落で、兄さんはバスの中で唯一降りる乗客だった。私は今しかないと思い、換算したドルを渡すが断固拒否されるので、後ろのポケットに突っ込んだ。それでも私の手元に返ってきてしまった。ハロン湾に住む兄さんにはもう会わないだろうけど、私は絶対忘れない。 バス内も気温が上がってきて、皆静かに窓を開けて入ってくる風で溜まった疲れを癒している。昼頃休憩所のような所に着き、食事を食べたり、バスに留まったり思い思いに過ごす。ギャルの前に座っていた中年のカナダ人夫妻はここで降りるようだった。夫人は横幅があり、旦那は背が高く、若くもないのによくこんな旅ができるもんだと感心してしまった。そしてこんな何もない所で降りるということも。 いよいよビエンチャンに差し掛かり、おじさんが携帯を差し出してくれた。なかなかすんなりは通じなかったものの、とりあえず連絡は取れた。タイ側に待機してくれていたらしく、こっちに向かってくれるらしい。おじさんに気持ちのドルを渡そうとすると、おじさんもきっぱり入らないと言って断った。 (11.Feb.2009) <<前へ 次へ>> #
by ten264
| 2010-05-26 22:08
| Vientiane
あんなに綺麗にサーブしてもらったことはあっただろうか。 注文してから完成するまでの一連の流れが何気ないのに美しく、気持ちがよかった。 さすがイノダ、と思ってしまった。 そんな気分に浸りながらの「京の朝食」お勧めです。 同時に私はFloreのギャルソン、山下哲也さんを思い出した。 言うまでもなく、美しいだろうあのお方に、いつかサーブしてもらいたいな。 最近書かれていないので、「Parisより、愛を込めて」が聞きたくて、 やたらと覗いてしまいます。 #
by ten264
| 2010-05-25 22:59
| Kyoto
午後8時前、なんとかバスは出発したけど既に外は暗闇でどこを走っているのかわからない。本を読むにも暗いし揺れるので、とりあえず寝てみたりして時間を過ごす。1時間ぐらい経っただろうか。バスは突如止まり、満員の車内に人々が乗り込んできた。後部座席だから敵が攻めて来るようで恐い。何人かは前のめりになって私たちの足下の隙間に座ろうとするもんだから、チーム後部座席は必死に抵抗。だけど私たちの言うことなんて所詮不可抗力なので、私の右に座る兄さんは心強かった。どちらかと言えば私たちの味方側について攻めてくる奴らを留めてくれた。ただ後部座席真ん中に座るカナダ人の子の前の段差には、ちゃっかりお花のついた手作り帽子のおばさんと全身赤いジャージの若い女の子が収まって座った。口ピアスバックパッカーの彼女も苦笑い。 再びバスは走り出すが石でも投げつけられているような何かが激しくぶつかる音がする。皆、顔が強ばる。乗れなかった腹いせなんだろうか。この先を察することができない私たちに、兄さんはどういう展開が待っているのかちょっと英語で教えてくれた。彼はこのバスに置ける私たちの神みたいだ。午後11時頃また止まる。今度は何?と兄さんを見るが、外の雰囲気でなんとなくわかる。ノグソタイムだった。トイレ休憩を言うものはあるのかと聞いてみると、日を跨いで少し経ったころにあるらしい。その言葉に一同安心する。 深夜1時か2時頃、兄さんが言ったとおり、深夜バスの休憩所みたいな所に着いた。バスを降りるとござったい所で大勢の人が食事を取っていた。深夜の妙な熱気。食事が作られる音。バスは横にも数台並んでいるようだった。とりあえずトイレの方向へ進み順番を待つ。我慢が耐えかねないほどにならなくてよかった。入って見ると、和式で今にも溢れ出しそうなほど地面とすれすれまで泥色をした汚水が満ちている。びっくりした。私はびっくりしたけどそういうもんなんだと後々わかった。アジア無知の私が成長していく瞬間である。マリービスケットみたいなのが売っていて、その中では一番惹かれたので買う事にした。15,000ドンとか言われた気がしたけど、手持ちの残りのドンは13,000くらいだった。相場が全くわからないので、最初の値段設定が盛られていたかはわからないけどそんな気がして、13,000ドンを渡すとマリーと交換してくれた。ドンのゼロの多さとドルとの併用と、馴染むほど居なかったけど、ただわかったのはドン紙幣はくちゃくちゃで汚かった。バスは再び出発し、チーム後部座席は手に入れた食糧を交換し合う。普段から食べるわけじゃないけど、マリービスケットはなかなか美味しく感じた。 午前3時頃、バスは検問所のような所で止まった。兄さんによると検問所が開くまでの数時間、ここでこのまま待つということ。なんでこれを見越した時間設定をしないんだろう・・と思うけど、きっと他にも事情があるのだろう。私的には特に問題はないけれど、ブリティッシュギャルたちは黙っていなかった。それを見兼ねて優しい兄さんは、このバスが止まっているすぐ横にホテルがあるからそこで寝ようと私たちを連れ出した。交渉は成立したようで、ベッドが三つ並ぶ一つの部屋で寝れることになった。しかも簡素だけど華やかさがあるお部屋でシャワーも付いてる。ギャルたちは有頂天。彼女たちで一つ、カナダの子と私で一つ、兄さんで一つとベッドを分け合ってして眠る。 (11.Feb.2009) <<前へ 次へ>> #
by ten264
| 2010-05-22 21:23
| Vientiane
約束の17時半を少し過ぎた頃、バイクに乗った兄さんがやってきた。その兄さんにバスまで運んでもらうのだ。アジア初心者の私にとっては思わぬ展開。バイクの後ろなんて乗ったことないし、半ば受け入れられないままニュックを兄さんに前背負いしてもらい、バッグをバイクのカゴに入れてハンドルに持ち手を巻き付け、兄さんと私の間にスーツケースを挟むというニケツ体制を作る。そのままどこかへ連行される気持ちでその場を去る。 進むに連れてどんどん増えるバイクの量。わざと燃料消費したいのかと思うほど無意識に鳴らされるクラクションの数は異常。鳴らすのが好きなのか鳴らさなければならないと思っているから鳴らすのか。今度会ったら聞いてみたい。線路が見え、列車がちょうど発車したようだった。電車という手段もあっただろうに、バスにしてしまった私を案ずる。実際このルートに決める前はフエとかそのあたりまで降りて、そこからバスとかも考えたのだ。でもどっちにしろバスには乗らなければならない。このままどこかへ攫われやしないか、お金を要求されないか不安は募るけど、とにかく兄さんのジャンパーをしっかり掴みながら、リュックやバッグが無事か見ていなければならない。 車の量も増え、当たりの空気は砂のように見える。大気汚染なのか、日が沈んだからか、色んなものが混ざり合った色をしている。着いたところは郊外の大きなバスターミナル。ある男をバイクの兄さんは見つけ、私を預けた。もう一人同様に連れて来られたような欧米人男性が。何か怒りを発している。どうやら荷物と身が離れたらしく、バイクが荷物だけ乗せて来て男性に渡していた。胡散臭い面持ちのその男は私たちを連れ、建物の外の椅子で待つように言われた。不安と緊張。男はやっぱりというか金を集ってきた。はっきり断ると、なんだそうかと解釈したようだった。男性もやはり行き先は同じ。バスを予約したのは違う旅行会社だけど、参考書にも載っている悪名高いシンカフェで、それでさっきのトラブルがあったらしい。イタリア人かと思ったけどイスラエル人だった。随分旅は長そう。ヴィエンチャンからはルアンパバーンとか北の方へ行くらしい。ラオスは上から降りた方がいいとも聞くように、山間がよさそう。大型バンが目の前に着いて欧米人が降りてきた。彼らもやはり同じようだ。予約した時の紙を見せ、柵を通ってバスが泊まっている方へ出る。 騒々しく物々しく色も落ちてきた雰囲気。バイブルにもあったけど韓国製のバスが多い。バスは18時出発だったはずが既に19時。バスの乗客を仕切る兄さんがいて、現地の人はその人に食ってかかっていた。どれが自分たちの乗り込むバスかもわからない状況が続いたけど、ある瞬間だれかが乗り込み出して、それに現地の人たちがすごい勢いで続いていく。外国人の私たちは席があるのか危ぶまれたけど、どうにか無事にあった。私は後部座席の座って右から2番目。角には現地の兄さんが座っていた。私の左にはカナダ人のバックパッカーの女の子。その横にブリティッシュギャルが2人。その前にバンクーバー出身の中年夫婦。このメンバーでどうにか翌日15時までのバスの旅を耐える。 (10.Feb.2009) <<前へ 次へ>> #
by ten264
| 2010-05-22 00:38
| Hanoi
同室のドイツ人の兄さんは、線の細い感じのいい人だった。なかなかの長旅で最近は東南アジアにいるらしく、タイにラオス、ベトナム南部のことなど教えてくれた。だいたいの人は私の旅程と割に合わない移動距離に通過滞在国を聞くと、日本人だとか言われたり、むしろ言葉を失われる。こんな発想をしてしまうこと、せざるを得ないことが哀しくもあるけど、こちらも自分の旅をするために、行き場を失ったエネルギーを発散させるために、何より先に進むために必死なのだ。兄さんはスペインの聖地巡礼がよかったと、自分の体験を教えてくれた。スペ語で言えない私に、Santiago de Compostelaと覚えたほうがいいとも。やっぱり私もいつか通過したいなと思った。 2日目にして私は最終日のハノイは、割と普通に観光地を回った。ホアンキエム湖に浮かぶ島の伝説の巨大亀。でかく、神聖に祀られていた。ホアンキエム湖一周。バイクの密集度が減って、ちょっと落ち着いていてよかった。参考書がかばん内で水害にあっているのに気付いた。ホアロー収容所。ベトナム戦争の南北の歴史が見れた。そこへ向かう途中、ひどい音量の電気屋で用を足した。もしかしたら何かに操られているかもしれない女の子に声をかけられた。ハノイ大教会。その裏の路地がよかった。付近には観光客向けなカフェがあり、フレンチなカフェの2階テラスでお茶をした。など。 宿のお姉さんおすすめの近くの角にあるお店でご飯を食べた。麺は白くフォーっぽいけどつけ麺。結構辛い唐辛子みたいな香辛料がスープにつけてあり、ぎゅっと縛られた肉と葉野菜と一緒に食べる。Fちゃんはなかなか気に入っていたけど、私は肉が辛かった。それを抜いても食べれるけど、最低量食べやすいよう切って盛られた分で無理だった。アジアは野菜は多いと見られがちだけど、結局スープなどは肉なのだ。身近に接種できるタンパク減として現地では欠かせないんだろうけども。ベトナムの人は店の前の通路に小さな椅子を置いて食事するけど、ちょうど排気ガスがぶっかかる高さと同じだからそれも私には厳しかった。空気が相当悪いせいか、バイクに乗る人も布で鼻と口を隠すように覆っている人が少なくなかった。社会が対峙する問題の差を突きつけられた気分だった。 ちょっと中心部の道も頭に入って来た頃、宿に戻って荷物を持ち、Vientieneへのバスを予約した旅行会社へ行く。楽しかったFちゃんとの旅もここでお別れ。この後、あんなに強烈な20時間が待っているとは露も知らなかった。 (10. Feb. 2009) <<前へ 次へ>> #
by ten264
| 2010-05-19 23:28
| Hanoi
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