MARIENKAEFERINSREISE
2010-06-12T01:09:44+09:00
ten264
日常と旅の記録、頭の中の開放、そして心の叫び
Excite Blog
Nong Khai-Bangkok: 12時間鉄道
http://winfd.exblog.jp/13412618/
2010-06-05T20:58:00+09:00
2010-06-12T01:09:44+09:00
2010-06-05T20:57:56+09:00
ten264
Bangkok
列車は18:20発。旅行会社のおっさんとそのお母様がトゥクトゥクでスーパーへ行くついでに、私も相乗りして駅まで行くことになった。おっさんとはここでお別れ。短かったけど、ビエンチャン、ノンカーイはとてもよかった。これまで通ってきたアジアはどこも喧噪にまみれていたけど、ここに着て初めてゆるくリラックスできるアジアに出会えた。おっさんとはクリスマスマーケットでの再会を約束し、トゥクトゥクに乗り込む。
結構時間が押している気がするけど、お母様と私を乗せたまま旅行会社のおっさんが来ない。ドイツ語で会話したはずだけど、何を思ったのかいきなり、仕事しない奴は嫌いだ、と英語でこぼした。おっさんがまさにそれに当たる気がするけど、特に言及せずに留まる。道行くなか目につく、仕事をしてなさそうな人に対して言ったのかもしれない。このお母様は50年か、いやもっと勤労に勤めてきたのだから。人や土地や気候が違えば、人が思う事も無限大に違う気がした。
駅に到着。おっさんは簡単にホームまでの通り道を教えてくれ、さらっと去っていった。このおっさんにも色んな歴史が詰まっているんだろう。トゥクトゥクは私はついで送ってくれると思ったから、払わなくてもいいのかと思ったけど、きっちり計算して支払わせてくれた。いざバンコクへ。荷物を置いたらとりあえず記念撮影。なんだか嬉しい。新幹線やICEみたいに日に何十本も走るんじゃなく、毎日数回の決まった時間にしかない列車。日常茶飯事に移動するためではなく、その1回を大切に乗り込む列車である。ファン付き2等の寝台車だけど、下より安かったから上にした。まもなく発車。辺りはだいぶ日が落ちて、既に暗くなっていた。
通路は挟んで横の青年。髪型と風貌からして不思議なアジア人はタイの参考書を持っていた。彼がどうやってここに辿り着いたのか想像がつきにくい雰囲気の人だった。リュックから、香港−ハノイ間に集めたライチのフルーツ缶を取り出し、食べることにした。若干重いのによくここまで運んできたもんだ。ただこのタイミングに食べるのにちょうどいい、適した食べ物だった。寝て、起きたら早朝バンコクに着いている。列車はちょうど一時間後くらいにウドンタニに停車した。駅の回りはなかなか賑わってそうな雰囲気があった。その後乗務員さんが回ってきて、2人向かい合わせで座っていた座席の上部を引き下ろし、上の人の寝床を作った。軽快にはしごを登り、シートをピンと張る様は、どの列車で見ていても気持ちがいい。はしごを登って自分の寝床に落ち着き、その値段の若干の差がわかった。下の人は窓があるから外が見れるけど、上の人は見れない。暗いから見た所でわからないけど、スペースや上り下りの負担からもその価格設定を理解した。
バンコクの予習をして、飛行機にちゃんと乗れる日にバンコクに着けることに安堵して眠った。上の寝床を解体する作業の音で起きると、到着の時間の30分ほど前だった。街に近づくに連れ、列車の速度は遅くなり、結局着いたのは1時間半遅れの8時だった。だからと言って差したって困ることはない。列車を降り、長い列車沿いを歩いてフアランポーン駅構内と対面。造りとしてはヨーロッパの駅のようなアーチ状の大きな駅。ちょっと腹ごしらえをしたのち、参考書での予習通り提示額の3分の1から交渉して、トゥクトゥクに乗りバックパッカーの聖地へと向かう。
(12,13. Feb.2009)
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Nong Khai: メコン川に浸る
http://winfd.exblog.jp/13408428/
2010-06-04T22:27:00+09:00
2010-06-06T01:11:42+09:00
2010-06-04T22:27:05+09:00
ten264
Nong Khai
当初おっさんはウドンタニ辺りまで車で送ろうかと提案してくれていたけど、私はおっさんと引き続きドライブをすることを想像した結果、乗り気になれなかった。車の不調もあり、Nong Khaiから鉄道でBangkokを目指すことにした。
車の修理後、すぐ近くのメコン川を眼下に見る、おっさんの友達の旅行会社でチケットを手配してもらうことになった。タイで生きるドイツ人のおっさん(2人目)を見て、また民族大移動に遭遇できたことを嬉しく思い、手応えを感じる。現代移動人類学とか勉強したら楽しいだろうな〜 ドイツ食糧品の販売、カフェもされてるので、外国人には利用価値アリです。おっさんは、彼はいい仕事をしているだろう、と満更でもなくちょっと羨ましそうだった。欧米人のおばあさんと犬がいるなと思ったら、そのおっさんのお母様だった。ドイツが寒い冬なので長期で滞在中らしい。私に向かって、あなたドイツ人なの?と聞いてくれた。私が笑いながら否定する前に、何故かおっさんが真面目にというか真剣に事実を伝えていた。
チケットが届くまで、ホテルのプールに泳ぎに行くことになる。おっさん的、年間半年バカンス中の日常的な過ごし方らしい。ホテルは街から西へ少し車を走らせたところにあった。ドアマンもいるし見るからに割とよさそうなホテルだけど、ユースホステル並みの値段で泊まれるらしい。目につく客がほとんど定年後の余暇を楽しむ欧米人(推測)というのもわかる。ここは都会じゃないし、流れる空気がゆったりしているので彼らにはぴったりなんだろう。
泳ぐ用意のいつも悪い私は水着未持参だったので、プールサイドで本でも読むかとブランコに定位置を探した。でも、目に入るのはビキニのおっさんと欧米人の老夫婦というのもどうかと思ったので、プールサイドから河原に出てメコン川沿いを散歩することにした。
この時はまっていた、Jack Johnson: Mediocre Bad Guys を聞きながら、ビエンチャンから渡ってきた友好橋をめざして歩く。セーヌ川やテムズ川の方が身近だった私にとって、地図上にしか存在していなかったメコン川に自分が浸っていることにひとり高揚して、ここまで流れてきた時間と距離を思う。橋のたもとでは少年たちがタイヤを道具にして川遊びしていた。国境の川で遊べるなんて、大陸に憧れる島国の人間からしたら目がキラキラしてしまう。メコン川で商売をする人の需要と供給のバランスを確認したら、おとなしく引き返すことにした。満たされた気分で戻ると、さっき降りたホテルの階段の上におっさんが待っていた。
チケットが届いたと連絡があったらしい。再び旅行会社へと戻る。戻る車中、外を眺めていると近距離ではないが、ドイツの黒パンらしきパンが並んでいるような景色が目に入った。いや、ここはタイなのだ。タイにもそれに似た食物か何かがあるのだろうと思った。チケットを受け取り、手数料で若干割り増しになった料金を支払う。自分でも取れるだろうけど、おっさんにも世話になったし、おっさん(2人目)にも知り合えたしよかったなと思う。
旅行会社に着いてから、姿を消していたおっさんが、黒パンを抱えて戻ってきた。やはりあれは紛れもなくドイツのVollkornbrotだったのだ。聞く所によれば、Vollkornを焼いているドイツ人(のおっさん(3人目))がいるらしい。侮るなかれドイツ人のおっさんたちの生態と生き様よ。今度行ったら私も是非、このVollkornを食べたいと思った。
(12.Feb.2009)
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Vientiane-Nong Khai: トヨタ・カローラで数分走る
http://winfd.exblog.jp/13379268/
2010-05-30T00:58:00+09:00
2010-06-05T11:32:21+09:00
2010-05-30T00:58:41+09:00
ten264
Nong Khai
朝食は、1階のテラスで。おっさんは卵の焼き加減がお気に召さなかったらしく、下げさせていた。宿のママの哀しそうな困惑した顔に戸惑う。おっさんよ、何もあんな怪訝な顔をしなくてもいいのに。。宿を後にしようとした時、なんとカローラのエンジンがかからない。結局宿の主、付近の住民男性たちに後ろから押してもらって助走を付けもらい、なんとか動いた。ほっと一安心。
初の車にて国境越え。対岸のタイ、ノンカーイへ行く。おっさんはノンカーイにも数年住んでいたらしく、その当時はビエンチャンにふらっと来ることがあったらしい。でも車で国境を越えるには数枚の書類記入+タイで登録した車を入国させる代金を支払わなければならず、車はタイに置いてくることが多かったらしい。私を楽させるために頑張ってくれたことに感謝。クリスマスマーケットで散々喧嘩したかいがあった。検問所横の免税店?でおっさんはいくつかお酒を買い、いざ国境越え。ここでの見物は右側通行のラオスから左側通行のタイに入る時の上下車線の交差!とりあえず成功。しかし身体はすぐに慣れないのかタイに入っても一瞬右を走り、対向車はいなかったものの焦りました・・・
なんだろうあの金色の渦巻き門は。ラオスから一瞬にしてタイに入ると風景が全然違う。すぐに車を修理に出し、その間私は辺りをふらふらする。ATMでバーツを引き出し、あちこちで書いては出せずじまいだったポストカードを出しに郵便局へ入ってみると、タイの郵便局のオフィシャルマスコットグッズがあった。しかもなかなか可愛い。この手の公共系グッズに弱い私は吟味の末、ストラップやマグネットをお土産に購入した。
(12.Feb.2009)
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Vientiane: 夜なべ
http://winfd.exblog.jp/13369231/
2010-05-29T23:36:00+09:00
2010-05-30T20:27:11+09:00
2010-05-27T22:52:19+09:00
ten264
Vientiane
まずは宿探し。私は参考書しか情報がない。いくつかいずれもメコン川沿いの宿を当たってみるけど、どこも売れ筋の部屋タイプは満室。どうしようか考えていると、同じく宿を探しているブリティッシュギャル2人と遭遇。バスの中で私が(2人にしてみれば)いきなりドイツ語で話し出したのが驚きだったらしく、口をあんぐり立てに開いて、手の甲で顎を押し上げて戻す一連の動作が面白かった。さすがギャル。彼女らと再び分かれて、おっさんが提案する宿に行くことにする。
少しメコン川から離れた方向に車を走らせて、着いたところは中庭を囲んだ2階建てのゲストハウス。部屋もちょうど空いていたのでここに決まり。最初からおっさんの提案を聴けばよかったのだが、ラオスのドミトリーではなく、1室を借りるのがスタンダードという宿部屋事情に抵抗した私が負けました・・・ このゲストハウス、おっさんは10年?くらい前に来たことがあったらしく、覚えていたそうだけど、主は画家のおじさんで横にアトリエも構えていて、ガネーシャの置き物があちらこちらにあって、猫も犬もごろごろしていてとても感じがよかった。通常トラベラーの集うメコン川沿いでないからか、雰囲気も騒々しくなく地元民ののんびり感が伝わる。ビエンチャンに行ったらまたここに泊まりたいと思うほど、ここの密かなる魅力にやられた。
とりあえず汚いのでシャワーを浴び、晩ご飯を食べに外へ繰り出す。首都だけど、立派な建物はすべてどこかの国のEmbassyだった。おっさんは7年ウドンタニに住んでると聞いてたけど、実はタイには20年ほど住んでいるという驚愕の事実が判明する。20やそこらから年間休日半年という生活をしていると推測される。でも食生活はドイツ人なので、レストランも欧米人向けの所だった(写真)。Veg,という表記もあり、そのマークがついたパスタにしたけど、自分の食生活が欧米向きになっていることをアジアで実感することになった。おっさんには悪かったけど、Beerlaoを飲みました。うまかった。
その後メコン川沿いを走ったり、土地勘の記憶のあるおっさんのガイドも聞きながら、また別の欧米人観光客で盛り上がるお店に入った。ちなみにさっきの店も含めて屋外の席が多く、そっちのが心地よい。ラオスという国はバイブルにも書いていたけど、ベトナムとタイに挟まれた細長い国土で一日あれば簡単にラオスを越えて行き来ができるため、それが経済格差を生み出す原因にもなっているらしい。欧米人のための店でほぼ欧米人のお客にサーブする優しそうなラオス人を見ているのは、あまり気持ちのいいものではなかった。自分の立場を含めて複雑な気分になった。そのお店の近くの雑貨屋さんに入ったら、なかなか素敵なものが沢山あって、それを見ているうちに夜は更けていった。
(11. Feb. 2009)
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Vientiane: 再会
http://winfd.exblog.jp/13369216/
2010-05-27T22:48:00+09:00
2010-05-30T00:48:16+09:00
2010-05-27T22:48:24+09:00
ten264
Vientiane
参考書のビエンチャンの地図を見ても、バスが一体どこのターミナルに着いたのかわからない。おっさんによれば、ベトナム方面から着くならそこだろうと見当が付いたらしいけど。皆が徒歩やタクシーやトゥクトゥクで思い思いに散って行く中、ひとり待機する。ギャルたちやカナダの子ともお互いの旅路を祈ってここで分かれた。そんなにしゃべったわけじゃないけど、いい旅仲間だったな。
乗客は居なくなり、顔見知りが添乗員の兄さんと運転手だったような兄さんだけになる。待てどなかなか迎えは来ないので、なんとか兄さんに携帯を借り、おっさんとつながった。電話中、目の前に果物が出てきて一つ貰い、兄さんはタコみたいに絡まってこようとするのに対し、私はスローな太極拳みたいに動いて退治した。その果物、ラオスに入ってから道で売られているのを見かけたけど、身体の熱を逃がすような作用があって、味も美味しかった。結論として、おっさんはここまで来れない。タイのウドンタニから走ってきたので疲れたと。あとちょっとなのに頑張れないのかと、ここに来ると言われた手前、回りにいる兄さんたちやこれまで手を貸してくれた兄さんたちに言っていた建前、贅沢なことを思ってしまった。でもおっさんも若くないし、もちろん私が動くべきなのは重々承知で気分を立て直す。じゃあなんとか中心地のわかりやすい所で待ち合わせをしようと、私はおそらく有名そうな門の名前を言うけど通じない。地図上ぱっと目についたわかりやすい建物に「ベトナム大使館」があった。それはおっさんも位置を把握してくたようで、そこで落ち合うことになる。
タクシーは高そうな気がしたので、トゥクトゥクにしてターミナルを後にする(写真)。ここでみなしごになるのかとか、想像もしなかった自分が置かれた環境に焦りも笑いもしたけど、なんとか次に進めそうだ。地図を見ても距離感が掴めなければ、その地の金銭感覚からなにからすべてがわからない。未知の土地に産み落とされた気分だったけど、それを噛み締める。おっさんの自慢のトヨタ・カローラとおっさんが見えた。これでぼったくられていても恨みはしない額を渡し、無事ファーストトゥクトゥク終了。どろどろでぐしゃぐしゃだけど、クリスマスマーケットぶりに会えて嬉しい。
(11.Feb.2009)
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Hanoi−Vientiane:20時間バス(3)
http://winfd.exblog.jp/13364086/
2010-05-26T22:08:00+09:00
2010-05-27T22:55:54+09:00
2010-05-26T22:08:38+09:00
ten264
Vientiane
早朝、誰からともなく目が覚めて、部屋を後にする。ブリティッシュギャルたちが宿代を兄さんに渡そうとするが、兄さんは受け取らない。私もそうするが、やはり受け取ってくれない。バスに戻り、通路に御座を引いて寝ている人の隙間をぬって、後部座席へ戻る。
時間になり、ゲートが開き、バスは動き出す。ベトナムを出国する。毎度のごとく、出国カードを埋め、人の動きを見て順序を察知する。ベトナムに入った時ほどの適当さはないものの、ひとりつまずくわけには行かないので余談はできない。すると重大なことに気付いた。出国にお金が必要なのである。深夜の休憩所でマリーを買った時、持っていたすべてのドンを失ってしまった私は払えない。そんな焦っている私を見兼ねてか、兄さんがすかさず出してくれた!!他の外国人旅行者が手間取る中、兄さんは自分のパスポートと一緒に私のも出してくれたから手続きは順調に進んだ。今度はラオス入国。入国カードと共にパスポートはバスの乗客分まとめて預けられ、外でスタンプが押されて返ってくるのを待つ。一人の男が束になったパスポートを持って、一人一人名前を読み上げて返して行く。しかもその時キープで入国料を取られることを知る。又しても絶対絶命に近い私を兄さんは助けてくれた。外国人だから料金別なのに。見返りなんて何も求めない、全くおこがましくない。ただ親切心で哀れで無知な旅人にあんなにも気にかけてくれたあの兄さんに、頭があがらない。兄さん無くしてこの国境は越えられなかった、まさに救いの神である。また、国境で効く顔で良かったと父母に感謝した。
全員揃ってバスに乗り込むまで時間があり、皆検問所のそばの売店で何か食べ物を買ったり、一服したりしてバスを待っていた。深夜の惨劇、赤いジャージの女の子はバスでもどしたりしてたのだけど、復活したようで嘆を吐いていた。というかベトナム人かラオス人はよく嘆を吐くようだった。ブリティッシュギャルたちは、ビニール袋一杯にどこか道中で入手したらしいハムスターの餌のような食物を食べ、殻をその辺の自然に返していた。私もいくつか貰い、同じようにした。バスに乗り込み動き出した時、前の現地人乗客がゴミを窓から外に捨てた。それを見たカナダの子が、こんな美しい自然になんてことするのよー!と左隣でまるでミュージカルみたいな身振りで言った。実際ここは水が流れ出す深い山間部で、その子が言うのも同感なんだけど、ゴミ処理の流れが発達していないのかこの地までまでそのシステムが到達していないのか、割と売店の回りにはゴミが散乱していた。現地の人にとってはそうするしかない、それ以外にするすべがない況なのかなと思った。
私がビエンチャンで友達と待ち合わせをしていると言うと、兄さんは前に座っている小指の爪だけ極端に長いおじさんに、ビエンチャンに着いたらおじさんの携帯を貸してくれるように交渉してくれた。なんでここまで優しいんだろう。ラオスに入って最初に差し掛かった村落で、兄さんはバスの中で唯一降りる乗客だった。私は今しかないと思い、換算したドルを渡すが断固拒否されるので、後ろのポケットに突っ込んだ。それでも私の手元に返ってきてしまった。ハロン湾に住む兄さんにはもう会わないだろうけど、私は絶対忘れない。
バス内も気温が上がってきて、皆静かに窓を開けて入ってくる風で溜まった疲れを癒している。昼頃休憩所のような所に着き、食事を食べたり、バスに留まったり思い思いに過ごす。ギャルの前に座っていた中年のカナダ人夫妻はここで降りるようだった。夫人は横幅があり、旦那は背が高く、若くもないのによくこんな旅ができるもんだと感心してしまった。そしてこんな何もない所で降りるということも。
いよいよビエンチャンに差し掛かり、おじさんが携帯を差し出してくれた。なかなかすんなりは通じなかったものの、とりあえず連絡は取れた。タイ側に待機してくれていたらしく、こっちに向かってくれるらしい。おじさんに気持ちのドルを渡そうとすると、おじさんもきっぱり入らないと言って断った。
(11.Feb.2009)
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朝、堺町を下ってイノダの本店へ
http://winfd.exblog.jp/13359588/
2010-05-25T22:59:00+09:00
2010-05-25T23:25:11+09:00
2010-05-25T22:59:21+09:00
ten264
Kyoto
あんなに綺麗にサーブしてもらったことはあっただろうか。
注文してから完成するまでの一連の流れが何気ないのに美しく、気持ちがよかった。
さすがイノダ、と思ってしまった。
そんな気分に浸りながらの「京の朝食」お勧めです。
同時に私はFloreのギャルソン、山下哲也さんを思い出した。
言うまでもなく、美しいだろうあのお方に、いつかサーブしてもらいたいな。
最近書かれていないので、「Parisより、愛を込めて」が聞きたくて、
やたらと覗いてしまいます。
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Hanoi−Vientiane:20時間バス(2)
http://winfd.exblog.jp/13340170/
2010-05-22T21:23:00+09:00
2010-05-26T23:47:20+09:00
2010-05-22T00:47:20+09:00
ten264
Vientiane
午後8時前、なんとかバスは出発したけど既に外は暗闇でどこを走っているのかわからない。本を読むにも暗いし揺れるので、とりあえず寝てみたりして時間を過ごす。1時間ぐらい経っただろうか。バスは突如止まり、満員の車内に人々が乗り込んできた。後部座席だから敵が攻めて来るようで恐い。何人かは前のめりになって私たちの足下の隙間に座ろうとするもんだから、チーム後部座席は必死に抵抗。だけど私たちの言うことなんて所詮不可抗力なので、私の右に座る兄さんは心強かった。どちらかと言えば私たちの味方側について攻めてくる奴らを留めてくれた。ただ後部座席真ん中に座るカナダ人の子の前の段差には、ちゃっかりお花のついた手作り帽子のおばさんと全身赤いジャージの若い女の子が収まって座った。口ピアスバックパッカーの彼女も苦笑い。
再びバスは走り出すが石でも投げつけられているような何かが激しくぶつかる音がする。皆、顔が強ばる。乗れなかった腹いせなんだろうか。この先を察することができない私たちに、兄さんはどういう展開が待っているのかちょっと英語で教えてくれた。彼はこのバスに置ける私たちの神みたいだ。午後11時頃また止まる。今度は何?と兄さんを見るが、外の雰囲気でなんとなくわかる。ノグソタイムだった。トイレ休憩を言うものはあるのかと聞いてみると、日を跨いで少し経ったころにあるらしい。その言葉に一同安心する。
深夜1時か2時頃、兄さんが言ったとおり、深夜バスの休憩所みたいな所に着いた。バスを降りるとござったい所で大勢の人が食事を取っていた。深夜の妙な熱気。食事が作られる音。バスは横にも数台並んでいるようだった。とりあえずトイレの方向へ進み順番を待つ。我慢が耐えかねないほどにならなくてよかった。入って見ると、和式で今にも溢れ出しそうなほど地面とすれすれまで泥色をした汚水が満ちている。びっくりした。私はびっくりしたけどそういうもんなんだと後々わかった。アジア無知の私が成長していく瞬間である。マリービスケットみたいなのが売っていて、その中では一番惹かれたので買う事にした。15,000ドンとか言われた気がしたけど、手持ちの残りのドンは13,000くらいだった。相場が全くわからないので、最初の値段設定が盛られていたかはわからないけどそんな気がして、13,000ドンを渡すとマリーと交換してくれた。ドンのゼロの多さとドルとの併用と、馴染むほど居なかったけど、ただわかったのはドン紙幣はくちゃくちゃで汚かった。バスは再び出発し、チーム後部座席は手に入れた食糧を交換し合う。普段から食べるわけじゃないけど、マリービスケットはなかなか美味しく感じた。
午前3時頃、バスは検問所のような所で止まった。兄さんによると検問所が開くまでの数時間、ここでこのまま待つということ。なんでこれを見越した時間設定をしないんだろう・・と思うけど、きっと他にも事情があるのだろう。私的には特に問題はないけれど、ブリティッシュギャルたちは黙っていなかった。それを見兼ねて優しい兄さんは、このバスが止まっているすぐ横にホテルがあるからそこで寝ようと私たちを連れ出した。交渉は成立したようで、ベッドが三つ並ぶ一つの部屋で寝れることになった。しかも簡素だけど華やかさがあるお部屋でシャワーも付いてる。ギャルたちは有頂天。彼女たちで一つ、カナダの子と私で一つ、兄さんで一つとベッドを分け合ってして眠る。
(11.Feb.2009)
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Hanoi−Vientiane:20時間バス(1)
http://winfd.exblog.jp/13334686/
2010-05-22T00:38:00+09:00
2010-05-22T21:25:57+09:00
2010-05-20T22:31:39+09:00
ten264
Hanoi
約束の17時半を少し過ぎた頃、バイクに乗った兄さんがやってきた。その兄さんにバスまで運んでもらうのだ。アジア初心者の私にとっては思わぬ展開。バイクの後ろなんて乗ったことないし、半ば受け入れられないままニュックを兄さんに前背負いしてもらい、バッグをバイクのカゴに入れてハンドルに持ち手を巻き付け、兄さんと私の間にスーツケースを挟むというニケツ体制を作る。そのままどこかへ連行される気持ちでその場を去る。
進むに連れてどんどん増えるバイクの量。わざと燃料消費したいのかと思うほど無意識に鳴らされるクラクションの数は異常。鳴らすのが好きなのか鳴らさなければならないと思っているから鳴らすのか。今度会ったら聞いてみたい。線路が見え、列車がちょうど発車したようだった。電車という手段もあっただろうに、バスにしてしまった私を案ずる。実際このルートに決める前はフエとかそのあたりまで降りて、そこからバスとかも考えたのだ。でもどっちにしろバスには乗らなければならない。このままどこかへ攫われやしないか、お金を要求されないか不安は募るけど、とにかく兄さんのジャンパーをしっかり掴みながら、リュックやバッグが無事か見ていなければならない。
車の量も増え、当たりの空気は砂のように見える。大気汚染なのか、日が沈んだからか、色んなものが混ざり合った色をしている。着いたところは郊外の大きなバスターミナル。ある男をバイクの兄さんは見つけ、私を預けた。もう一人同様に連れて来られたような欧米人男性が。何か怒りを発している。どうやら荷物と身が離れたらしく、バイクが荷物だけ乗せて来て男性に渡していた。胡散臭い面持ちのその男は私たちを連れ、建物の外の椅子で待つように言われた。不安と緊張。男はやっぱりというか金を集ってきた。はっきり断ると、なんだそうかと解釈したようだった。男性もやはり行き先は同じ。バスを予約したのは違う旅行会社だけど、参考書にも載っている悪名高いシンカフェで、それでさっきのトラブルがあったらしい。イタリア人かと思ったけどイスラエル人だった。随分旅は長そう。ヴィエンチャンからはルアンパバーンとか北の方へ行くらしい。ラオスは上から降りた方がいいとも聞くように、山間がよさそう。大型バンが目の前に着いて欧米人が降りてきた。彼らもやはり同じようだ。予約した時の紙を見せ、柵を通ってバスが泊まっている方へ出る。
騒々しく物々しく色も落ちてきた雰囲気。バイブルにもあったけど韓国製のバスが多い。バスは18時出発だったはずが既に19時。バスの乗客を仕切る兄さんがいて、現地の人はその人に食ってかかっていた。どれが自分たちの乗り込むバスかもわからない状況が続いたけど、ある瞬間だれかが乗り込み出して、それに現地の人たちがすごい勢いで続いていく。外国人の私たちは席があるのか危ぶまれたけど、どうにか無事にあった。私は後部座席の座って右から2番目。角には現地の兄さんが座っていた。私の左にはカナダ人のバックパッカーの女の子。その横にブリティッシュギャルが2人。その前にバンクーバー出身の中年夫婦。このメンバーでどうにか翌日15時までのバスの旅を耐える。
(10.Feb.2009)
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ハノイ:2日目
http://winfd.exblog.jp/13330013/
2010-05-19T23:28:00+09:00
2010-05-22T00:45:15+09:00
2010-05-19T23:29:04+09:00
ten264
Hanoi
同室のドイツ人の兄さんは、線の細い感じのいい人だった。なかなかの長旅で最近は東南アジアにいるらしく、タイにラオス、ベトナム南部のことなど教えてくれた。だいたいの人は私の旅程と割に合わない移動距離に通過滞在国を聞くと、日本人だとか言われたり、むしろ言葉を失われる。こんな発想をしてしまうこと、せざるを得ないことが哀しくもあるけど、こちらも自分の旅をするために、行き場を失ったエネルギーを発散させるために、何より先に進むために必死なのだ。兄さんはスペインの聖地巡礼がよかったと、自分の体験を教えてくれた。スペ語で言えない私に、Santiago de Compostelaと覚えたほうがいいとも。やっぱり私もいつか通過したいなと思った。
2日目にして私は最終日のハノイは、割と普通に観光地を回った。ホアンキエム湖に浮かぶ島の伝説の巨大亀。でかく、神聖に祀られていた。ホアンキエム湖一周。バイクの密集度が減って、ちょっと落ち着いていてよかった。参考書がかばん内で水害にあっているのに気付いた。ホアロー収容所。ベトナム戦争の南北の歴史が見れた。そこへ向かう途中、ひどい音量の電気屋で用を足した。もしかしたら何かに操られているかもしれない女の子に声をかけられた。ハノイ大教会。その裏の路地がよかった。付近には観光客向けなカフェがあり、フレンチなカフェの2階テラスでお茶をした。など。
宿のお姉さんおすすめの近くの角にあるお店でご飯を食べた。麺は白くフォーっぽいけどつけ麺。結構辛い唐辛子みたいな香辛料がスープにつけてあり、ぎゅっと縛られた肉と葉野菜と一緒に食べる。Fちゃんはなかなか気に入っていたけど、私は肉が辛かった。それを抜いても食べれるけど、最低量食べやすいよう切って盛られた分で無理だった。アジアは野菜は多いと見られがちだけど、結局スープなどは肉なのだ。身近に接種できるタンパク減として現地では欠かせないんだろうけども。ベトナムの人は店の前の通路に小さな椅子を置いて食事するけど、ちょうど排気ガスがぶっかかる高さと同じだからそれも私には厳しかった。空気が相当悪いせいか、バイクに乗る人も布で鼻と口を隠すように覆っている人が少なくなかった。社会が対峙する問題の差を突きつけられた気分だった。
ちょっと中心部の道も頭に入って来た頃、宿に戻って荷物を持ち、Vientieneへのバスを予約した旅行会社へ行く。楽しかったFちゃんとの旅もここでお別れ。この後、あんなに強烈な20時間が待っているとは露も知らなかった。
(10. Feb. 2009)
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ハノイ:1日目
http://winfd.exblog.jp/13325134/
2010-05-18T23:49:00+09:00
2010-05-20T00:13:54+09:00
2010-05-18T23:49:07+09:00
ten264
Hanoi
ハノイの市内に入るとやたら目に入るKFCの文字。Mを探せどもKFCばかり。バスが着いたのは大きな庭のような車庫。タクシーが客を待っているけど、参考書にもあまりベトナムのタクシーについていいことを書いていない。でもバスを降りた乗客たちの向かう先はだいたい一緒だ。交通手段を思案していると、中国人の女の子が声をかけてきた。連れの男の子と中心部に宿を取っているらしい。私たちが目をつけている宿とさほど遠くないので、相乗りすることにする。そのしっかり者の女の子は、乗り込む前に運転手のおじさんときっちり値段交渉して頼もしかった。この2人、東京に留学していたらしく、彼女は日本学専攻なので日本語がうまかった。同じく日本で知り合ったベトナム人のお友達を訪ねるらしい。なんとか無事に到着し、地図を見ながら分散する。
参考書情報によりReal Darling Cafeという宿に泊まることにした。同じ名前の看板が出ているけどそれは偽物です、という情報も確認し辿り着く。私は一泊、Fちゃんはここいらからゆっくりし出すので数泊予定。一泊4$。ドルが使えてしまう不思議な感覚。でも結局相応に便利なのかもしれない。神戸でギリギリ替えたドルが使えた。お部屋は5階くらいで登るのは疲れたけど、吹き抜けをベースに回りに階段が組み込まれていて、緑もあって床や壁のタイルが見た目にもひんやり心地よかった。低いゆったりした幅のベッドが3つあり、それぞれに異なる鮮やかな色のカバーが掛けられていた。なかなかかわいい。一番手前には先客があって、バックパックに付いてる個人データによればドイツ人の男性とすぐにわかった。蚊除けの蚊屋が上から吊るされていて透ける感じがきれいだった。
とりあえず回りを散策しつつ、何か食べものを求めて外へ。ものすごいバイクの量と騒音。それに伴って空気がとても悪い。道を渡るときは自ら踏み出して掻き分けなければならない。ちらほら観光の欧米人も見かけるけど、皆横断時は必ず怪訝な緊張顔。私はハノイ無理だとすでにななめモードに入る。フォー的なものを求めていると、2人の嗅覚(センス)が一致するお店が。メニューがあるわけではなく、この店だったらこれを出すといった面持ち。フォーのように麺は白くなく、別の名前の食べ物だけど、数少ないベトナムで食べたものの中では一番だった。私は翌日Vientieneへ、Fちゃんはハロン湾など観光予定なので、何件か旅行会社を当たってみる。どっちとも会社によって若干の差あり。結局私は妙に人懐っこい兄さんの旅行会社で16$でチケットを購入した。明日18時に早くもハノイを経つ。
暗くなってきたけどお店はまだ見れる。Fちゃんは時計を求めて、私はなんだったか生活用品を求めて彷徨う。お店を見て回るのはおもしろい。色んなものが売り物だったりする。ちょっとはベトナム・ドンも必要なので、Citiを探してホアンキエム湖の横の建物に入った。ハノイの顔の観光案内所といった風で割と対外国人に整えられていた。なんとなく上に上ってみるとあたりを一望できるカフェ・レストランがあった。如何にも観光客な感じだけどこれもまたよい。旅の浮き浮き度は間違いなく上がったのだ。対面のライトアップの眩しい建物にまたKFCを発見。涼しいけど、私は冷たいもの、Fちゃんはコーヒー的なものを注文したけど、コーヒーのベトナム情緒が私たちにはまだ理解できなかった。
(09.Feb.2009)
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南寧ー河内:7時間バス
http://winfd.exblog.jp/13293932/
2010-05-12T22:41:00+09:00
2010-05-19T01:00:51+09:00
2010-05-12T22:41:51+09:00
ten264
Hanoi
南寧には早朝着いた。割とちゃんと寝れたので、眠気とかはなし。バスはバス停の終点の車庫みたいな所に止まっていて、荷物を下ろして建物内に入った。さて南寧。特にこのまちを見る予定はなく、ハノイを目指す。カウンターにお揃いの服を着た従業員ぽい人がいたので、ハノイ行きのバスはあるのか聞いてみる。でも聞くにも中国人のおじさんたちに負け、言葉が通じ合いにくいのですんなり行かない。表によれば8時過ぎに出発する便があって、お姉さんによってもその時間に変わりはなさそうなので決める。150元、いいでしょう。どんなときでもiPhoneの通貨コンバータで確認。ただ若干違う料金がかかれたチケットを見せられる。何の差なのか聞くと発行手数料みたいなものだった。言葉が通じ合いにくいとき、金銭の事には神経を使うけど、わけを聞いて納得できてよかった。
ロビーには同じバスを待つ人がいるけど、ほぼおっさん。トイレも奥まったその先のその先の部屋の横みたいな所だし、2人でよかった。何を参考にしたか忘れたけど、FちゃんのYahoo!知恵袋の情報は役立った。出発のタイミングもどう知らされるのかわからないので、常に気を張って注意しておく。どうやらバスが着たらしい。黄色い車体に赤の花のペイント。中国と越南(ベトナム)を結んでますよと白抜きの文字。なんとバスガイド?風ユニホームを着た添乗員の細いベトナム人のお姉さん付き。席に座ると、南寧まで乗った寝台バスでももらったライチのフルーツポンチ風缶詰をまたもらった。これを集めているみたい。さらに水ももらって重量増。私のバイブルにも、中国は南に行くほどバスが良くなると書いてあったけど、まさにこのことなのか。
天気はよく、どんどん西へ進む。ベトナムに入る前、パーキングエリア的な所に止まった。だだっぴろい駐車場に一つの建物。同乗のおっさんたちは、どこからともなく現れた男と通貨を両替、そしてうんこ座りでタバコタイム。私たちは建物に入って、お菓子的なものを元で買った。そこからしばらく進むと谷間の国境検問所があった。中国の出国は割とすんなり。中国だけど南国のような水色の壁に酒たばこ類が並んでいる。記念すべき歩いて国境越え。ベトナム側の検問所に入ると無秩序に窓口に群がる人々が目に入る。入国審査の用紙にすっかり覚えてしまったPassNo.などを書き込み、それをパスに挟んでどうにか窓口担当の人に渡す。自分のパスポートが闇に葬られやしないかと、人に揉まれながら行方を追いつつ横移動。なんとも荒っぽい適当かつスローな作業に、バスに遅れやしないか不安がのしかかる。一人背のひょろっと高い欧米人男性がいる他はみなアジア人。Fちゃんと交代でパスポートの行方を見守りながら、ようやく自分のが手に取られスタンプを押された。そして「ワカコ、アジノモト、、、スズキ」と呼ばれ、受け取る。回りのひとたちにやにや笑い。和香子の次は味の素なのかと、これまたバイブル情報で知った、味の素ルートの存在に生で触れ合った。そしてSUZUKI。私はバイカーじゃないので馴染みがないけど、あのおっさんにとってはHONDAよりSUZUKIなんだろう。無事入国業務を終え、左右に渡された旗の下をくぐって、待っているバスに乗り込む。
ベトナムに入るとごつごつした岩肌の小山みたいな自然が繰り返し続いていた。仮に白黒だったら仙人がいそうな感じ。そしてやっぱり彼らの生活の足となっているHONDA、SUZUKI愛用者の人たちが。アジアにおける日本勢力の届き具合と年代差を目で見れた。郊外の村から住宅地へ景色が変わると、ここはフランス植民地だったと気付くことができる。建物か塀に番地のタイルが付けられ、建物自体にもどこか面影があって、おされに言うなら色使いがヴァージン・スーサイズ。郊外でだ。バスが休憩する所もなんだかキッチュな感じ。でも飲み物を飲んでいるとものすごく虫に集られる。かれこれ計19時間くらいバスなので、体力を消耗しているのかしていないのかよくわからない状態。道は大きな幹線道路のようになった。バス停も何もないような所で一人バスを待っている人がいて、乗客が一人降りた。巨大な看板がつづく。CanonにPanasonic、SANYOといった風に。メーカーの工場があるのも確認できた。ハノイはあと少しに迫っている。
(09.Feb.2009)
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香港ー南寧:12時間夜行バス
http://winfd.exblog.jp/13288972/
2010-05-11T22:42:00+09:00
2010-05-13T00:07:06+09:00
2010-05-11T22:42:22+09:00
ten264
Nanning
集合場所からバスが止まっている所まで少し歩き、いざ乗車。確保したのは後部座席にほど近い場所。これで12時間だと辛いなと、少し緊張しながら狭い座席でポジションを探す。香港は楽しかった。3日目は約束をしなかったけど、現地に友達がいると心強い。彼女たちを思い返していると、後ろでおばさんたちがピータンを食べ出し、一応乗って来た添乗員さんに注意された。私らもみかんでも食べようとしたんだけどね。
バスは快調に飛ばし、中国国境に差し掛かる。なんだか検問所ような所に着いたらしい。バスを降り建物に入り、パスポートコントロールを受ける。回りは皆中国か香港のパスを持っている。目印のシールを貼っている同じバスの乗客たちを目で追いながら、反対側から外に出た。移って来た同じバスに乗り込み、また出発。外は既に真っ暗で、郊外だからか光もあまりない。しばらく走った後、巨大なバスターミナルのようなところに着いた。ここに各地から来るバスが集まり、乗り換えを行うようだ。空気がよくない。建物にはちょっとした土産屋やバス会社の事務所が入っていて、自分の会社の客とバスをつないでいる。かなり人が多い。軽装の人、大量の荷物を抱えている人などそれぞれだけど、自分くらいの荷物量の人が一番多い気が。皆旅行と言うよりは単なる移動が多そうだ。ほぼ同じ洋装にリュックと赤いスーツケースの子を見つけて、まんざらでもない、私も同じ移動者になれたいい気分だった。今までに味わったことのない、人とバスによる混沌とした熱気というかエネルギーの渦巻く雰囲気に呑まれる。
実は記憶が曖昧。ここにそのバスが来たか、もう一度乗り換えたか眠気もあって記憶が定かでない。ただ最終的に乗ったのは、二段ベッドのような作りの寝台バス。窓側両端と真ん中にベッドというか寝転ぶ細長い個人スペースが作られている。ちなみに土足は厳禁。バスに乗るとき、靴を脱いで布袋にしまって自分で保管。共有できるアジア的文化である。バスはまだ新しいのか割ときれいで清潔だった。私の寝床は後方部に近い真ん中の上。靴を入れるスペースもある。はしごから上によじ上って寝転んでみると無性に笑える。落ちないように自分をシートベルトで固定して、私は込み上げる笑いを止められないまま、バスは走り出す。
(08,09.Feb.2009)
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香港:3日目
http://winfd.exblog.jp/13284557/
2010-05-11T00:22:00+09:00
2010-05-11T23:49:54+09:00
2010-05-11T00:22:19+09:00
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Hong Kong
2日間Fちゃんとは別行動していたけど、今日からはまた共に行動開始!香港を出てベトナムへ向かうべくチケットを買いに行く。宿の主の情報によれば、香港からは中国:南寧行きのバスが出ているらしい。いくつか旅行会社を回ったけど、結局教えられた旅行会社しかまともにチケットを扱っていなかった。それまでの感覚だとあまり安い気はしなかったけど、320HKDでチケットを購入。とりあえず先へ進めることに安心と期待を抱く。私たちが先へ急ぐのは、Fちゃんは「東南アジアでまったり2ヶ月春休み」が目的であり、私は2/15にBangkokからMünchenへの飛行機に乗らなければならない。旅は道連れ、素晴らしい。彼女は前日Macauにも行っていた。私はFreiburg後、次に行くならMacauと思ったほど興味があったけど、今回はお預けとした。そういうものなのか、この先も前から興味のあるところにはギリギリ接近して行けないことが多かった。
香港は気持ちのよい晴天に恵まれた。夜景もいいけどお昼の尖沙沮のプロムナードもとてもよかった。ジョギングをしている人もいれば、日光浴や釣りをしている人もいた。意味なく顔がほころぶ。私は前日モールでMARKS&SPENCERを発見し、雑誌で見てほしかったLily Coleの顔がプリントされたOrganic Cottonのがつがつ荷物が入れられるバッグを持ってご機嫌だった。似通ったりのモールにちょっとうんざりしたけど、欧米資本もアジア資本も参入する香港の買い物事情は利用価値ありと知る。セブイレの多さにも驚いた。四国を不憫に思ってしまう。
一度宿へ戻ると、宿の主を訪ねてきた日本人の中年の男性とその娘らしき人がいた。主は不在だったためなぜか私が対応するが、香港が返還される前の時代、ここに長居した人らしかった。その当時、皆ここで情報を集めて各地へ飛んで行ったらしい。今はバンコク在住らしいが、返還後に初めてここを訪れる、というかここに帰ってくることができたようで、とてもいい思い出を抱えていることは間違いなかった。どこに行った主よ。そんなに長居はできないらしく、ここに足を踏み入れて確認できたことに少しでも満足されたようだった。この宿の歴史に遭遇できてなんだか嬉しかったけど、主に出てきてほしかった。彼らが去った後、そんなことがあったと露も知らない主が現れたので報告をした。
Fちゃんのお金がトラブっている。T/Cの換金をミスったらしい。動転気味な彼女を落ち着かせ、その場に居合わせた旅慣れた男性の知恵もあり、即日本へ連絡をしてなんとかこの先進めなくなるような一大事には発展しなくてよかった。それを見届けてから、もうひと外出。素食といういわいる中国のベジタリアン料理を試してみたかったのだ。見つけておいた素食レストランで、テイクアウトのランチボックスを買う事ができた。美味しそうな春巻きやゴマ団子やおまんじゅうみたいなのが並んでいたから、中身を期待していたけど、フタを開けると全部油がしみきった見た目も残念な油揚げのバリエーションだった。鳥の多い解放された公園で、食べてみるもすぐ辛くなる。宿に帰って残りを置き土産にした。Fちゃんは変な本を置き土産にして、いざバスの集合場所へ出発する。18時くらいだけど暗くなるのはまだ早いのか、ネオンと人混みに揉まれながら、あろう事か私は地図を見間違う。焦って大きな荷物を振り回しながら、角で道を聞く事数回、なんとかギリギリ集合場所に間に合う。万事休す。同じくバスを待つ人がぼちぼちいる。私たちの乗るバスの乗客が呼ばれるのをしばし待つ。
(08.Feb.2009)
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香港:2日目
http://winfd.exblog.jp/13278331/
2010-05-09T22:24:00+09:00
2010-05-11T00:33:13+09:00
2010-05-09T22:24:55+09:00
ten264
Hong Kong
ラッキーハウス(宿)はいつでも薄暗い。
フロアが言うなれば男部屋で、奥の小さい部屋が女部屋。ベッドは全部使い込まれた二段ベッド。だから昨夜帰ってきて上に登るとき、熟睡中のみなさんを起こしやしないかと気にすると同時に、ベッドを壊さないか身を安じた。男部屋のベッドの位置が変わっている。壁のペンキを塗り替えているらしい。宿泊客がいようと、そんなことはおかまいなし。Fちゃんは昨日香港島のピークトラムに乗って夜景を見て来たらしい。初回の香港、私は先入観なく攻めたくて、たまたま宿に決まった陸側に留まろうと、香港島に意識が全然向かなかった(あとからそっちの方が好きだとわかったのに)。ベッドが下のお姉さんは添乗員さんらしい。いまは一人旅中とのこと。誘われて、近くの店に朝ご飯に行った。
昨日のお酒も残ってたのか、特に空腹じゃないし何より食べたいと思うものがあまりない。現地に根付いた香港流のモーニングや軽食があったのだけど、うっすらコーヒーを飲んだ記憶があるような。実は漢字のメニューにかなりダメージを受ける。牛、豚、鶏、肉、油とひらすら書かれると、それに対抗してその漢字がないものを探すのにその時は必死だった。私の食生活、かなりアジアに不向きと判断でき、ナッツと仲良くなることにする。
13:30沙田に集合。でも宿の最寄り駅からどれくらいで着くのか乗り換え案内もないのでわからず、ちょっと遅れる。なんとか人混みの中からFreiburgメンバを発見!昨日に引き続きまたしても再会!ほんと急な訪ね人なのに、こうして集まってくれて嬉しい。しかも昨日私があまり観光客が行かないところに行きたい(ショッピング大国だけど、旅はこれからなのに荷物を増やせないし購買欲がない)とか言ったもんだから、悩ませてしまっただろうけど、若干迷いながらも1000体の金色の仏陀がいるというお寺に連れていってくれた。その入り口に差し掛かるところで、お椀を持って左右に揺れ動く僧が2人。何かのゲームのようにものすごい無愛想な無表情で入り口を阻んでくる。すると上から「そいつらは偽物だー」と助け舟が。最初にして最大の難関を突破し、金色の仏陀に見守られながら上を目指す。
寺と言えどもこんなに違うのかと、あまりにカラフルなその着色加減から雰囲気の差を埋められない。真っ青な巨大な犬に金色の仏陀が腰掛けている。興味深いけど摩訶不思議な光景に、とりあえず中国の人は派手好きパワフルなんだと思って、そこの名物の香港スイーツを食べることにする。友達は汗だくになるほど気温が高く体力を使う坂道だったので、その冷たい豆腐のようなスイーツが美味しい。オレンジ色の砂糖をかけてさらに甘さを調節した。本殿らしきところに入ると、そこは割と静粛なムードが。友達がやるのを見よう見まねで香港式に拝んでみる。その子は占い師に将来を見てもらった。彼女は仕事を辞めた直後、不況が来て例外になく再就職が大変な最中にいた。5月まで待てみたいなことを言われたようだったけど、その頃結婚が決まったようだったからあながち外れてなかったのかも。
タクシーに乗って香港文化博物館へ移動する。色んな交通機関に乗れて単純に嬉しい。確か入館料が1.5HKDくらいだったかびっくりするほど安かった。香港の歴史や民族史の展示、人形を使ってその当時の暮らしを再現したものも多くあった。纏足の写真があったけど、彼女たちにとってそれは美の認識があるらしく驚いた。結構大きな建物で、中に中国のオペラの劇場があった。ちょうど上演中だったので、入って見てみた。主に2人のキャストが袖口の広い鮮やかな衣装を着て、くるくる舞っている。確かこの時中国のオペラについて色々聞いてみたのだけど、記憶が薄れてよく思い出せない。昔は女の人は演じられなかったとか言ってたような・・ 不確か。上演後、かなり埋まっていた客席から大きな拍手が起こり、皆大満足といった表情で劇場を後にしていた。そのオペラの登場人物になれるという機械があったので、プリンセスをやってみた。なかなか面白い仕上がり。
一人とはここで別れ、3人でご飯へ近くのモールへ行く。まちなか郊外問わず、大きなモールが乱立している。晩ご飯時よりちょっと早いけど、土曜だったからかどこも人がいっぱい。昨日私たちがイタリアンに行ったと言うと、友達がどうしても中華を!と押したので初めてまともに中華を(広東料理を?)食べることとなる。日本なら水だけど、お湯というチョイスがここにはある。Spagehtti Houseもそうだった。メニューは漢字だから想像がつきそうだけど、なかなか難しい。麺が太くて丸いお箸がどうもうまく扱えない。滑り止めとかあってもいいとどうしても思ってしまう。
さらに一人と別れ、2人でモールを彷徨いながら、久しぶりにゆっくり話す。後に結婚することになる彼氏とFreiburg後もずっと続いていたこと、辞めた仕事を選んだのも関係を優先してのことだったと聞き、そんなに順調だと知らなかった私は単純に羨ましく思う。お互いの将来がまたドイツに向かっていることを話し、彼女も相当真剣によく考えたことが伝わってきた。それでもその構想がうまく行くかはわからない不安の最中にいたと思うから、結婚が決まったと聞いたとき、ほんと嬉しかったな。この時は遠距離でこっちの方も少し不安があったようだったから。実はこの時その彼氏の元カノが私の知り合い(今は友達)だと驚愕の事実が判明。世界、というかKyoto-Freiburg-Mannheimの狭さを痛感し、惜しみながらも充実した再会に満足して彼女と分かれた。
(07.Feb.2009)
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